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大山倍達マニアック検定

ある日の極真会館 15(現代カラテマガジン 1973年8月号)

JUGEMテーマ:空手
 

さてさて、諸事情により先月全然更新出来てなかったのですが、お陰でサボり癖が付きそうな今日この頃ですw
 来年は国際空手道連盟並びに本部道場落成から50年なんですよねぇ。 今年は大山倍達総裁の生誕90周年(公式には、って事です)なのですが、何のアクションも聞こえないので、来年の50周年もスルーかなぁ。 あ、でも極真VSムエタイは50周年なので、年内には何か書くと思います。 岡田博文先生の記事も出せましたし。

現代カラテマガジン1973_8_1.jpg

 と、本編ですね、今回は「現代カラテマガジン」の1973年8月号を紹介します。 この頃になるとかなり門下生が増えて来てます。
 この前の年は1回の稽古で30〜50人前後だったそうですが、この頃になるともうパンパンです。 本当にパンクするのは「地上最強のカラテ」以降でしょうが、それでもかなりのものですね。 半分をランニングで追い出してスペースを確保したり、色々四苦八苦してたみたいですがw




〈写真ニュース〉
大特集! 極真会館 本部道場稽古


現代カラテマガジン1973_8_2.jpg

二時間半にわたる稽古内容を順を追って説明してみよう。
準備体操
基本稽古(正拳中段突きに始まり最後の後ろ蹴りに至るまで突きが約五百本、受けが五百本、蹴りがこれも約五百本と、都合千五百本をこなすことになる)
移動稽古(正拳中段追い突きから逆突き、受け、蹴りとつづき、いわば基本の応用篇。 合計で約千本)
実用稽古(ボール蹴り、飛び足刀など主にジャンプ力と瞬発力の養成が眼目)
柔軟体操(腹筋二百回、逆立ち一分、逆腹筋、背筋運動など)

現代カラテマガジン1973_8_3.jpg

自由組手
このほかに、型の訓練などが時折組み入れられる。


巻頭言
 技は力の中にあり

 文:梶原一騎
 
空手道にとどまらず実人生においても然り、自力の伴わぬ小手先の技巧は軽薄才士と堕とし、逞しい地力から発する縦横自在の技能こそが人間を大成させるのである。


武道夜話
空手と禅(第2回)

 文:大山倍達

現代カラテマガジン1973_8_4.jpg

 要は、理論ではない。 その境地に一気に突入することだ。
 水泳でいうなら、水泳の理論をいくら書物の上で知っていても無益である。
 その人間は、泳ぎの快感や、自由の悦びを少しも知っているわけではない。 水に浮かぶ真実を把握しているわけでもない。 それにはまず水にとび込むことである。
 真実の水泳の理論は、水の中からこそ生まれるのである。 日本の武道でいう極致、極意、目標は、こうした悟りの一気突入の把握であり、それを得てこそ、はじめて無碍の剣が揮え、自在のカラテが行えるようになるのである。


赤軍用心棒 〈第8回〉
 原作:真樹日佐夫 画:生田正次

連載小説 青春賭博(15)
 文:高森真土

海外だより

中村忠

 北アメリカ地域連盟委員長
 ニューヨーク支部長 六段


現代カラテマガジン1973_8_5.jpg

 1942年2月、東京生まれ。 17歳で入門し、大山倍達館長の薫陶を受ける。 62年、ムエタイの挑戦を受け翌年バンコクで対戦し、見事勝利を修める。
 65年に百人組手を達成し、翌66年、海外指導員としてアメリカに派遣。 71年にニューヨーク市に米国本部道場を開設、道場開きには当時のニューヨーク市長や日本の総領事など著名人が多数列席した。

ベアトリス・ヤング
 アメリカ・ニューヨーク州ブルックリン支部長

 
現代カラテマガジン1973_8_6.jpg

 1959年、夫がブルックリンに道場を開いたのを切っ掛けとして空手に興味を持つ、2児の母。
 60年に大山館長が渡米した際に紹介され、65年、正式に支部長としての認可を受ける。 5歳から70歳までの総勢3000人の門下生を擁し、雑誌やテレビなどで再三紹介されている。
 道場経営に才能を発揮する女傑ではあるが、年齢に関しては「21歳より上」としか語らない。

グレゴリー・T・ジョンソン
 アメリカ・イリノイ州オークローン支部長 二段

現代カラテマガジン1973_8_7.jpg

 1947年シカゴ生まれ。 5人兄弟の末っ子で大学では法律を専攻して学位を得、現在はシカゴ警察に勤める。
 63年から空手を始め、3年後に初段となり、71年に二段を允許。 翌年8月、東京本部で支部長認可を受け、2つの道場を持つ。

極真会館日記
 文:大石代悟

 六月十一日(月)曇
 午後四時半から二階道場でテレビ映画〈どっこい大作〉の撮影が行われる。 館長のビールビン切りなどがカメラにおさめられ、滅多に見られないシーンなだけに、撮影に参加した道場生たちは一様に目を丸くし、大変な喜びようであった。

どっこい大作.jpg

 九時に撮影を無事終了、そのあとスタッフの人たちと食事を共にする。

空手バカ一代 (15)
 文:梶原一騎

誌上カラテ道場(12)
極真会館 黒帯研究会 指導
■基礎編 平安

現代カラテマガジン1973_8_8.jpg

道場訪問
 マス・大山空手スクール実技道場

 その山崎師範代のキビシイ愛のムチのもと、やってる、やってる、汗だくでシゴかれている通教生たち!
 ひときわゴツイまるでプロレスラーのような男がいると思ったら、アマレスとボディビルのゴーケツ片山善平サンだ。

現代カラテマガジン1973_8_10.jpg

 「空手や柔道なんてボクの怪力でヒトヒネリと自信があったが、極真空手だけはちがう。 山崎師範代の強さにホレた。 その強さが一年生のように素直に、黒帯を夢みて精進する心境にしてくれました」
 片山ゴーケツが語れば、通教生一同も、
 「日本一の実力者に教わる幸福でイッパイ! 一日ごとに自分が強くなる充実感であびるケイコ後のシャワーはサイコー!」
 今秋の全日本トーナメントには、この中から片山ゴーケツはじめ数人が参加し、さぞや旋風をまき起こすだろう。
 「実戦に、ケンカ空手に強い男――すなわち真の極真空手家を育てるのが私の方針!」
 山崎師範代は力強く語るのだから――。


 
 という事で「現代カラテマガジン」1973年8月号でした。
 しかしこの「海外だより」は書き起こしてると面白いですね。 前に書いた「空手バカ一代」の元ネタの1人と思しきベアトリス・ヤング氏が登場してます。 こういう所から見ても大山倍達総裁は支部長が必ずしも極真空手経験者である必要性は無いと考えていた事が伺えます。 指導員を送るから、経営は別でも構わないという事なんでしょうけど、要は橋頭堡としての場所が欲しかったんでしょうね。
 この件については批判される向きもありますが、当時で考えれば致し方無いかも知れません。 資金力の無い組織が海外に飛躍しようと思ったら、日本で外国人が入門するのを待って支部認可を与えるという消極的なやり方か、誰でもいいからとりあえず場所を用意して貰って、指導員を派遣するという大雑把ですが手っ取り早い手段をとるかです。 国内組織が充実化する時期になってからは激減しましたが、それ以前は海外指導員育成は急務であり、内弟子募集なんかもやってましたしね。 まぁ、些か性急ではあったと思いますが。 あ、後フィルム審査だけで段位を出してたのはちょっと戴けませんw
 で、「どっこい大作」ネタが上がってたんで、書き出してみました。 多分山田政彦先生が見たという大山総裁の瓶切りに俳優が気付かなかった、というのはこの時の話だと思います。 ちなみにその映像はこちらにあります。

どっこい大作

 そして渋谷支部。 記事では梶原一騎先生が支部長と書いてあるんですが、最初は梶原先生だったのか、それとも最初から真樹日佐夫先生が支部長だったのか、この辺りはよく分かりません。 でも山崎照朝先生や鈴木浩平先生が指導に来てたというのは贅沢ですねぇ。

現代カラテマガジン1973_8_9.jpg

 そう言えば先日たまたま渋谷署附近に用事があったので、ついでに渋谷支部のあった平善ビルを眺めて来ましたw
 ついでに検索掛けてみたら、道場のあった6階は今空いてるんですね。 でも賃料が月75万か…。 あの辺じゃあ頼みの少年部も数入らないだろうし、道場の多い現在では運営出来なさそうです。
 
 あ、そう言えば、先日のトーチューの「空手バカ一代記」に未発掘の山崎照朝先生のキックの試合について出てましたね。 著者の森合正範さんはウチのブログも読んだのかな? やっぱり当ブログで公開した範囲以外の記事は見付からないという事でしたw
 ただ、幻の残り2戦はプロモータが契約した地方の興行が残っていて、そこで2試合消化(2KO)したそうです。 どうせなら地方と言ってもどこでやったのかを聞いて欲しかったですねぇ。 地方紙に載る可能性あるので。

 今回はここまで、それではまた。


参考文献:
現代カラテマガジン 1973年8月号 現代カラテマガジン社 1973年

参考映像:
どっこい大作 第27話「世界一に負けぬ日本一!!」 テレビ朝日 1973年

関連リンク:
幻の極真ジム 番外編 (全戦績データ)
「空手バカ一代」の元ネタ 1(KCコミック第12巻より)







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コメント
ご無沙汰しております。

ご紹介の「カラテマガジン」は私の入門する前年のもので、佐藤勝昭先輩や大石代悟先輩や東谷巧先輩方も全盛期の頃ですね。ちょうどこの号の年の9月頃から、「空手バカ一代」が放映され始めて、入門者が多くなったのは事実ですね。私が入門した翌年の昭和49年の4月は中学1年の時で、入門者の列に並びました。2階の本道場は超満員、基本が終わり次第30回以内の者は1階と地下の更衣室(シャワー室と木製ロッカーのあった場所)へ2分して稽古しました。2階では指導員の姿さえ見えない状態でした。入門者も多かった時代ですが、退会者も多かったとも思います。
  • 名誉五段
  • 2013/06/16 10:39 PM
懐かしいですね。

最初から真樹先生ではなかったと思います。
支部長が真樹日佐夫となったのは世界大会のパンフで知りました。

たしかに贅沢な環境ですね。サボった事を後悔しています。
とはいえ(本部より楽だったとはいえ)こなす本数が今の十倍ちかいと思いますのでやはりきつかったですw。

今の平善ビルは建て替えたか大がかりなリフォームされたものかと思います。

せまかったですねw。当時は少年部などとても無理というか要らないでしょう。
  • もん爺
  • 2013/06/19 9:00 AM
>名誉五段さん

お久し振りです。
1階の道場は昔畳が敷いてあった所ですね。

この時期は型をやったりやらなかったりだったみたいで、毎回はやってなかったらしいんですが、スペースが無くてやろうにもやれない時間帯もあったのかなぁと、当時の写真を見て思いました。
ちなみに地下のシャワー室の壁の向こう側には、「近代カラテ」が大量に置いてあり、その事を誰も知らずに30年ほど放置され、大山総裁が亡くなってから読めなくなったお宝の山を見付けたと聞きましたw

>もん爺さん

あ、やっぱり最初は真樹先生は支部長じゃなかったんですか。
形式的には本部直轄スクーリング道場とか、そんな感じだったのかな。

建替えかぁ、と思って調べてみたら、竣工が93年になってるので、間違い無く建替えてますw
  • Leo
  • 2013/06/20 12:36 AM
支部だったのかどうかもよくわからない曖昧な存在だったような気がしますw。

梶原先生が責任者なのは間違いないです。

曖昧尽くめの
見切り発車のオンパレードの時代だったので
いわゆるやったもん勝ちみたいな道場だったのではないでしょうか。

この写真の時は歌のスタジオも兼ねていたのでしょうがいつの間にかきれいに板張りの道場になって
かなり強引に説得したのだろうなと想像しました(^_^;)。

そんな何でもありみたいな渋谷支部は大好きでした。
  • もん爺
  • 2013/06/21 10:18 PM
>Leo様

私の入門時には「空手バカ一代」の撮影が総本部1階の小道場で行われていた名残で、白い板張りで端の方はカーブしていて一番後ろで稽古しますと段々とそのカーブに乗り上げてしまい、滑稽な稽古になってしまう事もありました。
  • 名誉五段
  • 2013/06/22 11:41 AM
>もん爺さん

あー確かに、支部だったかは微妙ですね。 スクーリング道場ですし。

>名誉五段さん

何か危ないですねw
私が最後に1階の道場に行ったのは事務長の告別式でしたが、その前は大山倍達記念会館の展示フロアになってましたね。 今も道場としては使って無いのかなぁ。
  • Leo
  • 2013/06/23 4:00 PM
いつも拝見しています。
極真には「裏」の型が存在しますが
いつごろから稽古に採用されたものなのでしょうか。
大山泰彦師範がブログの中で
「極真黒帯裏の会」なるものに触れていましたが
ネーミングからして
その時代からからなのかとも思ったりします。
ご存じでしたら御教示のほど
お願いいたします。
  • tama
  • 2013/06/24 8:37 PM
>tamaさん

正確にはいつ、というのは知らないんですが、70年代だとは思います。
確か80年代後半くらいには昇級昇段規定に載った様な…。
  • Leo
  • 2013/06/25 12:01 AM
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